■ 北摂・明ヶ田尾山〜鉢伏山
・・・・2013年11月17日
2013.11.17

秋も随分深まったと云いながら、あれあれと思う間にコートなどを引っ掛けたくなる朝夕が来て、深まる等と感じる間も無く、週末毎に夏が逝き秋が去ろうとしているような今日このごろ。

道端のカエデの枝先は赤く、逝く歳を見送る車の列は、お寺から漏れる意味の分からぬ有難いお経を聞くとも無く聞いたか、吸い込まれる様にお寺に消えていく。

尾根までの薄暗い途を黙々と辿り、些か溜め過ぎた身体の垢を落としつつ、来たるべき墨絵の冬へ誘う鳥の声。見えてきた、樹木と尾根の隙間から、覗く青空の有難さ、未だ雨の心配ほどはしなくても良い。

北摂尾根の陽射しは明るく、草紅葉は折からの冷たい風にそよぎ、煌めく中にハイカーの姿も屈託なく埋もれる様は、小春日和の文字が殊の外良く似合う。

近場ではあっても近頃はすっかりご無沙汰していた高山の明ヶ田尾山、一家総出の柿の収穫で賑わう軒端の前を抜け、いつの間に出来たか集落を取り巻く舗装道を歩き、見覚えのある古い給水タンクは変らずにある。

奥に進むと昼なお暗かった谷筋の道、昨日今日の踏み跡も賑やかに、水の枯れるあたりまでは意外に長い。着るものを1枚脱いで谷を詰めると、綺麗な明るい尾根に出て、平坦な尾根を東に少し、明るかったピークの前のエゴノキの葉叢、色付きながらも影を宿して、切られて後何年が経ったろう。

明ヶ田尾山を後に尾根を西に、林床は明るく葉も疎らな秋の森、落葉樹の森とはまるで違う植林の森に季節は見えない。最低鞍部から登り返して鉢伏山の界隈、錦繍の森は柔らかく、周到に敷き詰めた夏の光に溢れる落葉、何れは冬に備えた用意であろう。

隙間なくあった笹は消え、記憶はまるで違った剥き出しの山肌、多少育った木々の紅葉を伝い、初めて立った狭いピーク、北には支尾根が延び、行かぬが良いとは側の看板が警告である。

深山の雰囲気の漂う途を歩き、時にカエデの見事な様に立ち止まり、たわわに実る柿の渋さに顔を顰め、万博記念の森の手前から見下す深い森、西陽に映える葉叢の下は、既に冬の気配で満たされていた。


CGI-design