■ 野坂山地 大御影山〜三重ヶ嶽
・・・・2013年10月14日
2013.10.14

落合から伸びる長い林道、河内谷林道と云うらしい、をトボトボと歩き、本谷出合い登山口から沢に沿って遡上、翌日は三重ヶ嶽に回る予定であった。地図で見る限り、強い斜度の無いルートで尾根に乗れる筈。

6キロくらい林道を歩き、着いた本谷出合いは三重ヶ嶽から降った林道出会いの先にあった。谷側に沿う斜面は急峻で、これは今日の気分にそぐわない、よってパス。すぐ先にも、大御影山への尾根ルートがある。すぐ尾根に登れば緩やかなコースであることはわかる。

しかし、目の前の斜面は如何にもきつい、のみならず、どうも藪が待っているような気がする。やはり今日の気分ではないのだ。背中のザックは重くても、ここまで殆ど汗が無い。ふく強い風には冷たさがあり、まだまだ強力な陽射しの中でも熱くない。

このような日はゆっくり林道歩きで高度を稼ぎたい。いつのものかは特定出来ないが、先行者の踏み跡だってしっかり残っている。徐々に増す高度に伴い、林道からの景色も大きく立派に移り変わる。一気に突き上げるような三重ヶ嶽のピーク辺りも右手に広がる。水面は霞んで不明瞭だが、琵琶湖の沿岸の地形や竹生島が見えだした。

大きく曲折する辺りに必ずある谷川に、奇妙に泥が多い。植林の無い林床から雨も無いのに土が流れる。おそらくは先の台風で崩れた山肌があるのだ。その様なところも数箇所あった。いよいよ尾根に近付いた時、降って来られた単独の男性。駐車地にあった大阪ナンバーの方だろう。10キロ近い道程を降って行かれた。

林道が尾根を乗越すところで両側に路がある。一方は宿泊施設へ、もう一方は大御影山へ2キロとある。見れば尾根からは殆どアップダウンの無い尾根筋が続く。今日の気分に相応しく、楽に尾根歩きが出来そうだ。しかしザックは重いのである。

尾根にはブナ等が林立し、いつの頃から使われたのか深く抉れた路が続き、やがて「近江坂」等と由緒有りそうな、小説の一コマに出てきそうな地名がある。北には深い谷に続いてどこら辺りかも知れない彼方の山々が続く。で、小説に出てきそうな地名だから、郷愁に似た懐古の念が起こるのも不思議では無い。

同じ様な林床を一時間ほど歩くと大御影山ピークに着いた。美浜町の標識である。日本海には島影や岬が浮かび、停止中の原発建屋があった。少し右に樹林の無い開けた場所がある。ついでに行ってみると笹が枯れた跡のハナヒリノキの群生地で、北からの風が思いっきり抜ける。草原には薄い1条の径があった。

時刻は既に薄暮の頃で、野坂山地の彼方の空に、熱を失った夕陽が沈むところである。風は随分静かになったが冷え込みは予想以上。反射板の片隅で、登る朝日を震えながら見たのである。

日が登ると温かい。登り過ぎると顔が痛い。ちょうど良いところは難しい。少しく色付き始めたブナもある。大御影山からはまず下りで、汗も無ければ、このまま日本海側に降りていきそうな軽々とした古道が続く。

前日の予定では、左側に落ちる急斜面を登るところであった。最低鞍部からの登り返しも速やかに終え、大日分岐である県境尾根を南にとる。この辺りは熊の密度が日本一の筈、熊鈴は絶えず鳴り響いていた。その効果があって、10メートルほど先の林床を、脱兎の如くに逃げて行く熊、それ程大きい個体では無かったが、日が昇った尾根のクリを食うのは若い熊だ。

更に1キロほど先でも、ブナの木から滑り落ちる奴がいた。登山道の踏み跡は濃くは無いところから、彼らには青天の霹靂かも知れないが、クリとブナの実も多く、熟れたアオハダは手つかずで、今年の秋はご馳走だらけだ。

一方では、この頃から顔が痛み、温度計では20度越え、風もまた温気を妊んで酷く暑い。全部暑いかというと冷たい風も吹く。昨日からの強い風は、遅い二百十日の野分といったところ。

三重ヶ嶽ピークに至り小休止、そこへ現れたのは、女性一人を含む山岳マラソンらしい3人。らしいと云うのは、姿はそうだが走っているところを見なかった故である。皆さんは歩いてピークに立たれ写真撮影をされた。故にハイカーと変わりない。

降りでは不思議とコースを間違えた。今持って、どこで間違えたか不明である。
それにしても、湖西道路の渋滞は酷い。


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