■ 北摂・剣尾山拾遺
・・・・2013年09月01日
2013.9.1

今週も雨、聊かも無しでは詰まらない。大岩で雨宿りをしながら各のごとく想像してみた。岩絵は頭上にある。

池田から能勢の郷に入り、丹波に向かう道の先に,月峰寺は見える筈である。能勢の郷の最奥に位置し、一帯を睥睨する様に造られた寺は、それ自体が強固な要塞であって、摂津と丹波の2国に跨り睨みを効かせていた。

伽藍のある剣尾山は、北摂山系の主要な山であると同時に、政治的にもまた北摂の盟主であった。その様な山であるから,元より人の多いところへ、噂を聞きつけた様々な人々が各地から流入し、今もまた浪速で食い詰めた男が1人、行者口に差し掛かったところであった。

行者口から尾根に沿った道がうねうね続く。ここは地名の如く行者の修行の場であるそうな。そういえば大きな岩が曲がり角の先の辺りに、暗い森から覗いていた。樹林の下に潜む行者の息遣いが感じられるようでもある。

目の前の大岩に登ると能勢の郷が眼下にあった。浪速辺りと比べると、如何にも狭隘な山国があった。木戸こそは通しても貰ったが、このままでは丹波道から出ていくくらいが必定ではないか。それでは如何にも情けない。

彼は熟慮した。大岩はあったが所詮大峰の比ではない。立派な滝も無ければ天を突く巌も無いのである。山は浅く神仏の厳かな気を感得するには些か物足らないところは否めない。この地を長く衆人の知るところとするには添えるものが必要だ。

彼の頭上では10日の月が冷たい光を放ち、雲の流れに応じて光と闇が襲ってきた。座り込む岩の上には初秋の冷気と晩夏の温もりが拮抗するようにかわるがわる襲ってきた。当時の旅では野宿はごく普通のスタイルで驚くには当たらない。

振り向いた先の、直ぐ背後にある大岩の垂直の岩肌に己の影が出来ては消え、消えては流れて逝った。そうした時を経て、天の啓示の如く脳裡に浮かんだのは、この変哲も無い行者の森の岩いわに、御仏を描く事であった。

仏を描く事によって広く知られもしよう、長く人々の記憶にも残るであろう。北摂の盟主に相応しい装飾となるのだ。彼がまず最初に向かったのは背後の大岩で、大日如来像を描く事にした。

次々に描いた仏の姿は残念ながら今日目にする事は出来ない。僅かに一部、当初の色を失ったとはいえ、登山道の上にはあの大日如来像が、多年の星霜にも拘わらず、時に光輝を放って残っている。

以後彼は、自然の岩に仏を刻む彫師として、その名を諸国に馳せた。今も残る岩仏は、彼の手によるものか、彼の流派が手掛けたものであるという。



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