迷い迷って宮前の駐車地、2代の車があって、一台の車のタイヤは空気が無い。これは放置車両でお山とは関係が無かろう。この暑さにも負けず、お参りしたい方が他に1名はおられたのだから心強い。川に沿った道を行くので暑さもそれ程では無い、にも拘わらず歩みはのろい。
日露戦争戦没者を一堂に祭った墓地の前に車が1台、相当高齢だと思われる男性が一人、お参りも済ませ車に乗るところであった。失礼ながら、車の操作ができるのかしらん、などと心配するほどフラつく足取りである。ところが車のスタターモーターは勢いよく唸りをあげて、あれあれと見る間に消え去った。
池の水はまだ余裕がある、コナラの表皮を流れる黒い樹液に虫は一匹もいない。金輪寺への道は掃いたように綺麗である。綺麗な道を黙々と歩く。車も通らなければ、動物の死骸一つ見当たらない。今年初めて聞くツクツクボウシの声が響く、1年の終わりを聞くような響きがある。
雨は少ないと思っていたが、何時もの小谷に水がある。目の前の石の間から湧く少量の流れで、顔を洗うくらいは出来たのだ。冷たくて小気味が良い。再び歩いて登山道前、自転車・バイク乗り入れ禁止の高札がある。流れる雨水で既に深く抉れた登山道の回復は難しい。
携行したペットボトルのお茶が少ない。どうでも山頂直下の湧水が必要だ。尾根を吹く風は涼しい。涼風は何処から来るのか、下界の熱気は上昇し、高所の空気が周囲から流れ込む。山が涼しいのは周囲にあたるからで、簡単な理屈ではあるが気が晴れる。
歩けば何れ山頂に着く、ぼちぼち歩きでも同様だ。半国山北東尾根に乗ったところで水が無くなった。無くなるとこれが無性に飲みたい。水場だけが目標であった。山頂直下の平坦地の手前で、林床に蠢く鳥1羽、嘴の黄色いホオジロの巣立ち雛。
青虫を咥えては落とし、落としては咥えて格闘中である。1m程近づいても逃げようとしない。巣立ち直後の雛だからそんなものかもしれないが、多少痩せ過ぎているようにも見える。見始めて数分の格闘の後、やっと飲み込む事に成功した。些か満足そうな面持ちで、低い枝先で羽根の繕い。飛び立つ後ろ姿は弱々しい。
平坦地から南斜面を下り湧水のある谷の最源流部に行った。苔むした水場に汲めるほどの水は流れていない。どのようにしても有機物が混じってしまい、飲めるほどの水は汲めないのである。あ〜いよいよ水が飲みたい。
辺りを徘徊する事30分、どこを探しても同じである。しぶしぶ諦めピークへ向かった。帰りはピストンで行くか周回するか、赤熊の手前の南側斜面には綺麗な水の湧く谷があるのだ。よもやあそこなら枯れる事もなかろうなどと、水飲みたさに揺れ動く心。
すんでのところで断ち切って、さっさと降りてジュースでも飲もうか。カウベルを着けたハイカーが一人、無言で傍を抜けていく。下りの尾根ではダブルストックの男性と行き違う。午後からの気温上昇が身に沁みる頃、そんな中を登るのだから偉い人だ。
後は五里霧中の体で下山を完了、500ml缶のジュースを飲み干すのに、要した時間は30秒ほどだった。
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