お金大明神には暫くご無沙汰していた。天気も良いしヒルの大人しいこの時期なら行けるだろう。何分にも立派な林道は有難い。
で、出掛けた杠葉尾の愛知川林道、帰りに使うかもしれない銚子ガ口の登山口を確かめて、え〜〜あんまりじゃ!、関係者以外立入禁止の貼紙を真中に、鍵のついた閉鎖された扉が待っていた。
側には2台の車がある。あとから来た釣師のおっちゃんは、暫く漁協のおっちゃんと話して、近くの駐車場を指示された。こりゃアカン。
隙間に入れて歩き出すと、入った直後の路肩に並ぶ軽トラの数々。何処から入ったものだろう?、今日は水路の掃除のようで、発電所近くまで作業中。せっかく除いた砂砂利を、山側に積む人もいる。それじゃ落ちて来ませんか?。
歩くとこれが結構長い。発電所前を回ると愛知川を真中にして鈴鹿山脈西側の眺望が広がる。高度も有り、素晴らしい景観である。が、登り勾配の道は続くのである。
1時間ほど歩くと道が終わった。歩き過ぎだ。少し戻って瀬戸峠下から川に降る道に入った。だが、峠下に車が1台、どう見ても、所謂関係者、の車両には見えないのだ。辿る途に残る踏み跡1つ、誰だろう。
嘗て山ビルに追いまくられた途は雨による侵食が進み、随分深い溝になった。瀬音が聞こえると直ぐに愛知川に出る。青い流れは涼やかで、何が悲しくてアップダウンの激しい川岸を汗を零して攀じるのか?、川面を眺めやる度に胸に湧く疑問。
右岸へ渡渉する場所に来た。水量が多く、素直には通して貰えない。上流側は崖があり、浅瀬を探して飛び石伝いに何とか渡渉に成功、靴の被害は全くない。
右岸の途は大きく高巻く所が多くて厳しい。川面は遥か下方にあって水音だけが聞こえてくる。途といっても、岩の上を伝い崖の上の岩棚をすり抜け、細い谷を降って登って、兎に角厳しい。
今日はザックが軽くてまだ自由である。テン泊装備の時は抜き足指し足、ビビリながらの行程であった。天狗滝の青い淵が、如何にも涼しそうでありながら、恐ろしそうにも見えるのである。
へばりつくようなアップダウンの厳しい途の先が明るくなった。まずは広沢出合、階段状の岩を降ると人がいる。川の流れを見つめて動かない。ストックを流れに挿し、眉根を寄せて直立の姿勢。
取り敢えず挨拶だけはしておこう。どうやら渡りたくて果たせないでいると観たが、何で厳しい所か解らない。渡渉可能な所を探して少し上流へ、浅い適した所は直ぐ見つかった。
渡ったところは見た筈だが動かない、相当のこだわりをお持ちのようで、一度決めたら是非も無い?、渡り終えた先で休息中に姿が消えた。え?、諦た?、ちょっと変わった人かも。
エネルギー補給を終えて目指すはお金谷、時間の余裕はあと少しだけ。30分歩いて不達の場合は断念と決めた。やっぱり厳しい途が続くのであるが、昔の人は何故もっと楽な途を選ばなかったか?、まさか草鞋では楽であった等とは思えないし、関所破りのルートだろうか?。
など、胸に去来する思いは様々、見覚えのある窯跡を過ぎ、制限時間いっぱいのところでお金谷に着いた。ザックをデポし空身でのお参り、お金大明神は、モノ思わしげな眼差しを東の虚空に向けたまま鎮座しておられる。
いつこの像が発見され、お金の名が付き、大明神になったかよくは分かっていないらしい。これがアメリカにあったら確実にインディアンの神になっただろうと思うのだ。さ〜あとはどうするか?、谷を越え尻谷を抜け、銚子ガ口に這い登ってそして降るか?。
それ程酷しい行程ではないが、膝の意見を最大限尊重し、ピストンに決めた、が、帰りにもあのアップダウンを思うと嫌なものが沸々と湧く。雑念を追い払ってさあー帰ろ。広沢出合いの建物跡を観察し、テン泊だと良いな〜と思いながら往路を戻る。
戻る途に釣師が1人、距離を開けて林道に戻ると、アスファルトに黒ぐろと残る轍の跡。しまった、一緒に帰れば車で帰れたものを。
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