■ 京都西山・越畑〜地蔵山
・・・・2013年03月24日
2013.3.24

鈴鹿のフクジュソウも気になりながら、里の春霞もまだ見ていない。東京は散る花の風情をもとめて歩道には人の波。夕闇の迫る川の土手は敷物で埋め尽くされ、中でも紺色のスーツにネクタイ姿の男ばかりの一角に、薄ピンクの花びら数枚では風情も何もあったものではない。

近畿の桜はまだ蕾で、越畑の桜も同様であった。陽の光だけは充分有りそうなのだが、なにしろ気温は6度しかない。細い道端に顔を出したフキノトウの花は満開である。軒下から伸びた梅の枝の、香気を放つ白い花。

直登コース脇の家から出てきたお爺さんは、山へ登るのかと聞き、真っ直ぐ杉の林に続く路を示す。その顔はにこやかであった。直登コースの谷川に沿ったあたりは出水で崩壊して歩き辛い。どうもご存知無い様に思われる。

この路は辛いので峠から行きます、と応えて納得して頂いた。集落を抜ける小径の石垣には、随分伸びた草花もあった。芦見用水路を辿る辺りから路が明るい。冬の間に間伐作業が入り、今もなお続いているようであった。

裸の木の枝先には未だ膨らみの足りない冬芽がある。未だ三月ではあるからこんなものかもしれないが、折角だからコシアブラの若芽でも有ったら有難い。といった卑しい心持ちを叱責するものがあった。

つがいのシジュウカラである。周囲を飛び跳ねつつ、盛んに戒めの有難い言葉もあった筈であるのだが、悲しい事に鳥の声を解する術を知らない輩である。大いに恐縮しながら通過させて頂いた。

馬酔木の林の右手斜面に緑は無い。散見出来るのはアオイだけであった。当分顔は出す様子も無い。反射板横の西向地蔵に春の挨拶に伺った。なんと、立派な涎掛けを纏っておられる。が、贔屓目に見ても中年顔のお地蔵様である、涎掛けはどうであろうか。不似合などと僭越を云う訳も無く、ふとそんな風に感じたしだい。

お地蔵様の前は日差しで温かく、温度計を見ると20度もある。お地蔵様は素足を曝け出しておられるのだが、この気温のなか、むしろ爽やかである。しかしこの足、何処かで見たような、、そうだお化けのQタロウだ、お地蔵様ゴメンネ。

地蔵山ピークに移動、ピークのケルンに小さな木彫りの仏様があった。どなたか危篤な方の手によるものであろう。台座もあったから、ケルンの南側に倒れないように置かせて頂いた。この仏様、直立の御姿で右手を真っ直ぐ上に伸ばしておられ、その姿はウルトラマンの変身のポーズに似ている。

改めて、ジュワッチ地蔵と呼ばせて頂いたら西の地蔵様も喜ばれようか。同意を頂けるかお叱りを受けるか、作者様すみません。

という道草を食いながら愛宕山ジープ道、抜ける風ほどは冷たいのだが陽だまりの暖かさはもう春であった。とんでもない急勾配のジープ路を降り、樒ガ原から府道をぶらつきながら、この春最初の地蔵山詣を終えました。


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