■ 鈴鹿・甲津畑〜雨乞岳
・・・・2013年03月17日
2013.3.17

今日は先週のように騙される様な天気ではない。正真正銘の快晴で暖かい陽射しの溢れる渋川の、立派な橋のたもとに車はたったの一台だけ。橋を超えて行った軽トラも引き返してきた。

この道は、日本経済の調子が良かったならば、杠葉尾から愛知川上流に延びる道と繋がる事になっていたとか。山を崩して谷を埋めてもの道であったら、これから歩く道どころか、杉峠辺りは峠の茶店、今様ならば峠の路の駅くらいに変わっていたかもしれない。

実際のところは長大なトンネルが出来て、信長の逸話などは何処かに吹き飛んでいたかもしれない。そんな野望のその後については一般人の知るところではないのか噂も聞かない。今日のところは、桜地蔵までの長〜い林道を歩き、500年前と同じ景色を観てみよう。

関係者以外立入禁止の林道を黙々と歩いた先の路肩に、さっきの軽トラともう一台の車がある。尖った石ゴロゴロの細い危険な道を走るだに恐れ入るところだから、文句も何もある筈も無いのだが、彼らは釣師である。そして関係者??。

さらに少し歩いた先の狭小な路肩、谷底までゆうに50メートルを超える崖の上に車が一台、ガードレール等の無いオフロードである。恐るべき釣り三昧くらいには云っても良いだろう。すぐ先は、一昨年頃に見上げるような山腹が崩れ、道とは云っても歩くのがやっとだ。

今年も無事に桜地蔵にお参りし、橋を渡ってこれからが本番である。ここまでのところ雪は無い。見上げた左岸尾根から下の山腹にまだ雪が残っている。今日の暖かさで雪解けに拍車がかかるだろうが、それ程も多くは無いから洪水の心配もあるまい。

しかし暖かさとは有難い、のんびりした心持ちで山歩きが出来る。先週等とはえらい違いだ。透き通った美しい流れを幾つか越えると雪が出てきた。雪の上にはまだ新しい靴跡が2つだ。それも一つは小さく女性に違いない。峠下の小屋から先の巻道に新しいルートが出来た。

崩壊が進みエッジを掛ける程度の路であったが、新ルートもそれ程差異が無い。むしろ位置が高くなっただけ高度感が募っただけかも。感心したのは山腹の塩ビの先からコンコンと流れ出す地下水の有難さ。手のひらに一掬、喉に流し込むと多少生温く感じる。甘露甘露。

雪の無い杉峠、先行者の足跡は途絶え、真っ白な雨乞いへの急斜面が立ちはだかる。古い踏み跡なら幾つか残っている。これに足を載せて、ところがこれがよく滑り、結構硬くて確保が難しい。君子は雪の無い林の木を頼みに、やっと斜度の緩む雪庇の上に到達した。

というのも、彼方の空に御嶽の孤高の姿、神々しく輝く白山が見える筈であったから。ところが中空に出来た黒っぽい層を境にして、上は霞んで何も見えない。みはるかす彼方に見えたのは、雪の残った御池奥の平で、鈴ヶ岳には雪さえ無い。で、1000メートル辺りから下の黒い層は一体何なの?。

雨乞岳のピークを踏み、雪の上で暫しの休息、イブネの雪面の上でも、黄色い敷物の上で寛ぐ2人の姿が点の様に見えただけである。黒い層のことは忘れても、皮膚に刺さる陽射しの厳しいこと、下り始めて気が付いた。顔がヒリヒリ痛み出した。

上りには硬い氷も流石に元気も無く、涎などを流して暑さに喘いでいる。谷川の水には見たところ変化が無い。もとより多目であったのだから当然と云えば当然。が、澄明な水底の落ち葉に紛れる落ち葉の様なアカガエルは、人を除けは今日唯一の出会いである。

挨拶程度の触れ合いであるのに、妙に拗ねて応答すら返さぬ。あ、なるほど!、お前まだ眠いね?。水底の扁平アカガエルは愈々頑なに岩を抱き、ちょっと目を放した一瞬の後には、何処にもその姿は無かったのである。


CGI-design