側道に積み上げられた雪の山、暖かくなったとはいえやや早すぎた。木地師発祥の地であるという君ガ畑を過ぎた頃から林道法面にも大量の雪がある。
このまま入って退くこともままならない状態に陥る事も十分あり得る。路肩の雪の山の高さがボンネットを超える辺りで車を降りた。傍を冬タイヤの軽トラが行く。
空は落ちてきそうなほど真っ黒で、いつ降ってきてもおかしくない。歩き出してほっとした、この先の積雪は多く路面も狭い。地蔵尊のある橋のたもとに釣師の車が数台、橋から先は除雪はない。
雪に覆われた林道は結構歩き易い、腹を擦りながら進入した車のお陰だ。御池川の水量は多いが透明感がある。釣師が残した広い河原へ降る足跡が数条。小又谷の入り口からワカンらしい足跡が残り、これが不安定で中々歩き辛い。
水量の多い川を渡り、中電巡視路の鉄橋を渡ってポツポツきた。次第に強くなる雨足と、崩壊が進み更に細くなった登山道の雪は厄介だ。僅かに滑っても赤土だらけ、まさか谷まで落ちはしなくとも慎重にならざるを得ない。
雪のノタノ坂は思ったより急峻だ。今の気温はやや高めでカッパが暑い。左岸に移る頃から暴風が吹く。峠につく頃には北西方面には顔も向けられない程の風雨である。只引き返してはガソリンが勿体ない。
鈴鹿山脈は殆どガスの中にあって、ぼんやりと見えるのは風の届かない眼下の林だけである。茨川への古道は崩壊が酷く、少し登った鉄塔から尾根を下り古道に出る。
鉄塔を抜ける風の音は凄まじく、辺り一体に響き渡る。少々うす気味悪く感じるほどで、出来れば聞きたくない種類の音だ。しかし鉄塔真下からの眺めは良い。古道の雪は場所により多かったり少なかったり、最後の植林地に入り古道の崩壊した辺では、やはり僅かに残る雪が剣呑であった。
沢に下り沢を渡って廃村茨川の入口に出た。濁流となった茶屋川の向こうに、雪の中に静まり返り、恐らくこの冬の初めての侵入者ではないかと思われる。さて川を渡る段になって濁流で水深が読めないのである。じっと見ていると目が眩む。
浅瀬らしいところを渡り始め、水の侵入を許したばかりでなくズボンも濡れた。思う以上に水量があった。高校の山岳部小屋から名大山岳部の古民家の前まで、雪面に何の足跡もない。この建屋の他には神社が残る。神社の前には濁流がある。せっかくだから、神社も見てみたい。で、やっぱり濁って増水した川を渡った。
靴の中はまた少し湿った。神社はやはり確りと残っている。両サイドの狛犬の睨みも確かで、尊厳を犯す何者の痕跡もない。狛犬の後ろの記名を見ると、右は筒井さん、左は小椋さんが大正十三年に寄贈とあった。小椋姓は木地師に多く、やはり茨川にもおられたのだろうか。
気温が下がってきて大変寒い。何時の間にか強い風が吹き抜ける。今一度濁流に入った。やはり目が回って長くいるところではない。そして水も少しだけ加わり、靴下はグチュグチュする。それでまた最後に濁流を渡った。完全に両の足は濡れてしまった。
ノタノ坂峠まで、飛ばされそうな風に追いまくられ、雨から変わった雪が顔を打つ。振り返ったガスの飛んだ鈴鹿の尾根の、ちょうど真ん中あたりが治田峠のようである。 |