雪の無い笹野神社を登ると、古色を帯びた瀟洒な日本家屋に出会う。坂の下から見上げただけだから詳細は分からないが、ともかく大きな家屋で、仔細に見ると洋風の綺羅を凝らした装飾も見られる。
使った様にも見えず、ただ年々朽ち果てるかのように見えるのが惜しい様な気がする。土地の豪族の末裔の物であるとしたら、おおかた既にこの地の者では無かろう。
など想いつつ、杉の葉叢越しに覗く山脈の上の紺碧の空を羨やむのである。なにしろこちらは1200まで続く暗い植林の下を登るのだ。地に明るさは無く、つまり雪はまるで無い中を、全ての水気がみな凍り付いた登山道を登っている。
この季節で雪が無いのは珍しく、気温もまずまずで風が少ない。お蔭で大汗を拭きながらやっと大鏡池に着いた。池の周りは切り払われ陽射しがあって温かく明るい。
僅かに残る池面は凍り付いていて煌めいている。小さな社の中に吊るされた御神体の鏡より神々しい。向かいの斜面に深く残る鹿の足跡。一服やって腰を揚げると背後で賑やかな声が響く。
植林が尽きると葉を落とした木々の尾根を歩く。枝には一面に霧氷が着き、綺麗な青空に良く映える。当然風がある訳で北風の当たる尾根上は多少寒い。
ところが風の届かない南側はまるで小春日和の中である。見上げると、真っ白に染まった薊のピークが青空の中にある。ピークまでは細い尾根が続き、少なからぬ岩場が続く。
厄介なのは雪では無くて氷であった。昨日の雨で溶けた雪はルートの岩の上で凍りついてよく滑るのだ。アイゼンを着ける程では無く注意してさえおれば問題は無い。
と後ろを見るとご夫婦らしいお二人である。それ程もゆっくりした歩みでは無かったから相当に早いと思わなければならない。ことに先を歩く奥様の凛としたお顔と声の素晴らしい事。続くご主人の、こっちは大変ですわ、と語った時の表情は真性のものであった。
先をお譲りしてさあピーク、と見ると手前の小さなキレットで何やら止まった。もしかしたらご主人の小さな抵抗、であったかも知れない。
そのような詮索はともかく、氷の着いた岩を下って一上りで足跡の夥しい薊のピーク。台高北部の山々が白く輝き、と云いたいところだが、白いのは樹木だけで赤ゾレなどはガレた地肌さえ見える様である。
南側斜面でお昼を頂く間に、先のご夫婦が明神平に向けて下って行かれる。何とも短いお昼休みである事か。やはり後ろに付けたご主人、ご苦労様。
薊と前山の間は釣り尾根状であるから、降れば当然最後は登る。最後の登りは大変に辛く、他人はどうとも何時も心が折れそうになる。前山ピークから望む明神平を見下ろす間に回復するからよく出来ている。
雪は少ないが広い雪面に残る奔放なトレースと散見する人の影、祭りの終わりを見るような、安らかな静けさを感じるのだ。それが今日の終わりへと繋がり、山を降るきっかけに繋がる。
若い人も多くて、アイゼンを着け勢い良く降っていく。シャーベットと時折残る氷とで、壷足ではやっぱり大汗をかいた。次々降る車を林道脇から物欲しそうな眼差しで見送り、やっと駐車地に辿り付いた頃には夕闇が迫っていた。 |