■ 鈴鹿・矢原川中俣から仙鶏尾根
・・・・2009年05月09日
2009.5.11

今日は暑い。石水渓入り口に車を止め、広がる長閑な茶畑を見ながら阪本の集落に入った。お茶の収穫期らしく、頬かむりしたおじさんおばさんをあちらこちらで見かける。阪本の入り口付近にあった左の谷に入る道を進むと直ぐに行き止まりになった。地図では黒い点々の道になっており、取り付き付近が不明瞭である。恐らく地図作成当時には取り付きあたりが不確定であったのだろう。耕地整理かな?。

手持ちの地図は大分古いものだが新しい地図は5万分の1になるので用を成さなくなる。少々古くても使い勝手は良いのだ。改めて取り付きを探し、山際の建物の横から伸びる林道を見つけた。「この先行き止まり」の標識はあるが、阪本集落に影を落とす尾根を巻いて奥に伸びている。はるか下方に矢原川の水音が木魂するようになり、植林の葉叢越に仙ガ岳に続く尾根が鮮やかである。

しかし足元は気になる。この温かさで気の早い主さまが彷徨い出ていないとも限らない。夏場の鈴鹿の防人としてお働きになるあり難いお方ではありますが、せめて今日位までは許して頂きたい。それに今日は朝食を取ってないので、血もあまり美味しくは無いであろう。であったからかどうか、幸いにもヒル様の襲来はまるで無かった。

浅黄色の仙ガ岳南尾根の一箇所から水が噴出しているのが見えた。山に穴が開いたのかと思ったが、そんな訳は無い。矢原川の左支流に落ち込む滝である。落差60mほどと聞いていたがなるほどそれくらいは十分ありそうである。雄大な眺めに感心する間に、水音がまじかに迫り谷川を一つ越えた。既に開花時期を過ぎたミツマタが林床を覆うところがあった。こんな群生地を静かに寝かせておく程人類は迂闊では無かろうから、この道もシーズンには大分賑やかになろう。

既に林道は消えて久しく、踏み跡だけが続いている。尾根上に出ると踏み跡が分かれ、マーキングされた尾根道が主流らしい。しかしここは是非にでも下った沢筋を登ってみたい。矢原川中俣を遡上するのである。沢屋さんではないので、あくまで山歩きである。ところどころ、久しぶりにお目に掛かる紫頭巾の紫のマーキング。こんなところまでも道案内して頂けるとは、思わず感涙を禁じえない。

しかし道らしいものは殆ど形を残しておらず、急峻な川沿いの道は、全て谷に飲まれて崩壊している。花崗岩質の川底はビブラムソールの登山靴でもしっかりホールド、5m程の滝はなんとか左右から登ることが出来た。寧ろ10m程を高巻くときの方がドキドキものである。足元は今にも崩れそうだし木の根だけが頼りである。

谷はどんどん深くなり、日の光さえ差し込まない。心細いことになった。仙ガ岳南尾根に逃げようかとも考えたが、その先がまた不明だし、右尾根に駆け上がれば間違いなく道はある。ただ登りたくないだけなのである。ここは暫く谷を詰めることにして、ひたすら滝を登る。両側の花崗岩の壁が更に高くなり、これ以上進めば迷子の子猫さんになる恐れが出てきた。

崩壊の進む山肌を尾根へと、四肢を踏ん張りただただ登る。汗は滝の如く力は蚊のごとく、見上げた尾根はあくまで続き、もうあきまへん。ここらで野宿でもするか、と投げやりな気持ちが支配的になった。ツエルトもあるし食料も有る。だが良く考えるとビールがないのだ。実にこの一点でザレ尾根は克服されたのである。呑み助の執念はほんま凄い。降りて冷たいビールを飲みたいばかりにやっとこさ仙鶏尾根に辿りついた。

仙鶏尾根は実につまらんものであった。兎に角ターゲットはビール以外にないので、もの皆が実に詰まらなく過ぎる。野登山の参詣道に辿り付き、阪本の集落まで取って返して直ちにコンビニ。駐車場まで戻り、汗を拭きつつ飲んだビールの旨さは譬えるものがない。あ〜今日もよう遊んだこと。高速の巨大な橋桁の彼方のそのまた彼方の山の端に、消えゆく夕日を追いながら、静かな夕暮れを眺めたのである。



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