■ 薄雪の北摂尾根 
・・・・2013年01月27日
2013.1.27

寝違えた右肩の後ろの痛みが勝り、白く色付いた尾根を登りながらも、その実はコンニャクのようにグタグタだ。

汗でもかけばひょっとした序でに治らンとも限らン。足裏を地に全く着けると多少脳天に響いてくる。でゆっくりやっているのに、前を行くおば様方は、わざわざ止まって道を譲る。

聞こえんばかりに息を弾ませてもまるで効能がない。ニコリと笑って立ち止まっては仕様がない、ドンドン歩いて古道に入り、おば様方は新道を行かれた。

勢いもやっと治まり、小さな尾根から現れた連れも出来てボチボチ歩きのお宮参り。正直なところこのくらいが適正なので、コンニャクもそれ程悪くない。

僅かながらも陽射しもあり、長く踏まれて出来た道を眺めるに連れ、幾千幾万の足に踏まれた道だろうかと考えた。ずっと昔に同じ眼差し同じ思いが何度あった事だろう。

そうした結果道は出来たので、踏んだ当の人は何人も残らンのだ。だから諸行無常を唱えるのではないし、未だ人生を語るほど熟成してもいない。

およそ死ぬまでありそうにない事を思っても虚しくなろう。しかし死ぬ事は些か気になる。気になりだしたところへ調子良く低音のお経が響いてきた。

般若心経が流れている。サンスクリットの発音を漢字の音で著したものだ。未だに邦語訳が流行らないのは如何なる理由があるだろう。ただ和尚さんの名調子を有難がるだけだとは想われない。

勝尾寺園地は風が冷たい。冷たい風の中でお昼を戴く男性が一人。斜面の薄雪を睨み隅の裸の桜の下では如何にも寒々しい。あちらから見たススキと岩は、もっと侘しく見えたかも知れない。

園地から尾根に向かうルートは関電巡視路に決まっている。今日は何処か変わっていて、谷川に沿った道型も残っていない薄い踏み跡を行きたいのだ。間伐材は道を塞ぐし枯れた潅木もそのまま残る嫌な道だ。

暫く登ると狭い谷は愈々狭くなり、踏み跡は谷川のすぐ脇にあって、時に石積みで補強されたところも発見した。明らかに過去の生活の道に違いなく、今は暗い杉林に埋もれた廃道である。何をかいわんやである。

谷が二つに別れて廃道の痕跡も途絶えた。北摂尾根まで適当に登り、あとは園地に戻るだけ。一服入れる積りが人が多い。勝尾寺前から250段ばかり階段を登り、左の林で目的を遂げた。名調子のお経は今を盛りで流れている。


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