高見トンネルを越えるとそこは、良く分からんところであった。蓮ダムと書いた案内標識が目に入り、右側から出会う小さな道に入ると良く晴れ渡った明るい空の下に、綺麗な小さい集落がある。見かける住民にも屈託がなく、開放感に溢れた村落である。地図で見たダムは随分小さいものか、またはずっと奥にあるに違いなく、右手上方に聳える台高山脈のずっと山懐まで行くのだろう。
幸先が良いように思われた登調子の道はトンネルを潜ると下りになった。下り道が終わると間もなく更に小さな村落が現れたのである。行きつ戻りつしながら蓮ダム湖の右側支流である青田川を遡り、小さな橋の手前に車を駐車。この先の様子が判らないのでここから歩く。橋を渡ると美味しそうなタラの芽に出会った。また暫く歩くと大輪のイチリンソウが咲いていた。
このような出会いを元に、この先の胸躍る出会いが思われる。女神がでるか山の神が現れるか。山の神はこの際無視しましょ。なんだか損をしたような広めの林道が続き、谷下の渓流は美しく流れる。道脇を落ちるなめ滝も新鮮である。見上げる程の急峻な山の端には、檜塚・檜塚奥峰が見え隠れする。このような満ち足りた散策はやがて、沸々と滾る挑戦意欲を殺いで行くのである。
千秋社のトラックが停まる駐車場を過ぎ、暫く登ると木屋谷川と菅谷川の分かれである。傍には四駆が一台。思いっきり見上げないと見えないような檜塚への登山口は木屋谷川方面、適当に登れば沢筋に出て、その後ゆっくり木梶山方面に登れるのは菅谷川方面。戦闘意欲の失せた後では菅谷が良い。偵察などと都合の良い言い訳も考えられるのである。
ちょっと登ると千秋社事務所とある。何の事はない、古い山家の住居で中には何もない。荒れた林道は杉の林の中をやや高度を上げるように作られている。枝分かれした支道がいたるところにあり、樹間が広く林の中は明るい。千秋社さんに感謝である。山腹を巻くように進み谷を隔てて岳山、梅尾と続く尾根が見える。その先には木梶山、馬駈ノ辻があって台高主稜線と繋がる。
であろうが今日はどうやらそんな大奇行を実行するほど鬱積した病巣はないのである。風に震えるヒトリシズカ、あっちこっちに沢山あってもヒトリシズカを横目にみ逃し崩壊場所は高巻きながら、真面目に進むこと一時間ほど、突然道がなくなった。道とは名ばかりの道も神様仏様千秋社様、ありがたやありがたやと拝み倒してきたのも過去のことになった。間伐材くらいは処理せいよ!
捨てる神あれば拾う神あり。菅谷川まではそれ程高度差がなく、適当に下ったところには、千秋社駐車場あたりから伸びる沢沿いの道にであったのである。これも廃道同然ではあったが文句もいえまい。驚くことに、菅谷川には大きな砂防ダムが幾つもある。建造は昭和42年、相当大掛かりな工事であったらしい。ダムを幾つも越え、隣の山肌に移って大きく高巻きながら最後のダムを越えた。そこには梅尾方面からの廃道もある。
沢に降りて昼食を取りつつ、目の前の炭焼窯二つと山家の跡が一つ、在りし日の山家の主に思いを馳せ、山のあなたにあるという幸せに思いを致すのである。川風はしかし冷たかった。食後は苔むした岩が転がる広い谷を遡行。険しい山容に較べ、割合に谷は穏やかである。大きな滝でもあれば、どちらかに逃げないといけないし、それを機にピリオドの積りである。
不思議なことに、これほどの山脈深部の谷底に、何時頃廃棄されたのか古タイヤが5〜6本。おおかた林道建設者が、作った林道から廃棄したのだろうが無茶をする。どこかに林道がある筈だろうと目を凝らすと、巨大な岩陰を下っておっちゃんが現れた。四駆の主に違いなく、沢装備での入渓で、今日の予定は終了の様子である。
巨大岩を越えたところで時間切れ、杉林に残る廃道を利用して少しく時間を節約、その後の廃道は既に道でもなく踏み跡でもなく、いわば適当に下りなさい、程度の酷い荒れようであった。既に傾きかけた陽差の中をゆっくり歩きながら考えた。あ〜ビール飲みたい、キャンプしたい。
|