非常に冷たい、手を入れても5秒と漬けて置けないほど冷たい谷川の水が流れる傍が好きなのである。そこは幾らか暗すぎるかもしれない、湿度も高いかも知れないのだが、とにかく好きなのである。
ヒキのささやきを聞き給え。
わし・・・ヒキなんですけど、なにか・・・ わし・・・ここすきなんですけど、なにか・・・
ヒキはでっぷりとした腹を抱えて、僅かに身体を引きずった。招かれざる客との対面は、些か面倒な事でもあるし、だいいち、相手の足から上は、暗い杉の林に紛れて分かりもしない。ヒキは平和主義者であった。
かくのごとく、水の流れそうな杉の陰や、苔生した大きな岩陰にはヒキガエルが潜んでいる。でっぷりとした身体を億劫そうに引きずりながら、それでも時にはやる気の片鱗を見せ、飛び跳ねようとすることもあるのだ。
彼らは一様に争い事が嫌いなのだ。甚だしい事には、天敵であるヤマカガシに咥えられた姿であっても、じたばた見苦しい姿を見ることはないかの如くである。ここまでくると、単なる平和主義者を超えて、片頬を打たれればもう片方を差し出す聖人に似ている。
葛川峠まじかになって雨が降り出した。かなり強力な雨なので、暫く降り続くと伏流の谷川にも流れができた。こうなっては、伏流脇に潜むヒキといえども、重い身体を引きずって何処か、安全地帯に非難する必要が生じる。
細い目を見開き、足を思いっきり延ばした格好で、やっとのこと岩角をつかむ事ができたのである。赤茶色のイボイボだらけの背中にも大いに雨が降る。雨は小一時間もするとどうやら上がった。
湖面から急斜面の谷を這って雨雲は去り、漏れ出した日差しで気温は10度も上昇した。流れ出した谷川も、程よく湿り気のある静かな砂場に戻ってくる。太った腹にはこれが実に気持ちよい。
細めた眼差しの先に、傘をたたんだハイカーが、烏谷山への急斜面を登っていった。入れ替わりに、二人のハイカーが下ってきた。飛び惑う虫の羽音が頭の上あたりに満ちていた。
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