久しぶりの鈴鹿、河内の風穴手前の狭い路肩にものものしい出で立ちのおっちゃん達、良く見るとハイカーではないか。それも大阪ナンバー大集合。只でさえ狭小な道で、地元の車も迷惑そうに擦り抜ける。大阪人として恥ずかしい限り、おっちゃんら、そらあかんで。廃村今畑下の林道にも既に車が一杯、滑り込みで駐車地を確保、支度の間にも次々とやってくる車は駐車地を求めてウロウロ。
林道終点の落合辺りまで、路肩に車が並ぶのにさほどの時間も要すまい。それにしてもまだ8時前の廃村傍の林道終点の出来事である。ハイカーは逞しい。昨日の雨と大量のハイカーの痕跡で登山道は大変なぬかるみよう。暫く登ると、急斜面に点在する廃村今畑の集落跡になる。既に倒壊した建物の多い中、石灰質の地質を縫って湧き出す井戸だけは数年前と変わらない。
今でも残るお寺の前では早々と弁当を開くグループもある。集落の至る所から芽吹いたフクジュソウを鑑賞するハイカーも混じって、低く垂れ込めた雲の下には時ならぬ賑わいが戻った。前後にハイカーがいるので、歩調を合わせて登るのが正しいのだ。尾根近くにまでくるとミスミソウの花もある筈であったのだが、白い花は見つけてもこの曇天では花が開いていない。
高度が上がるに伴い風が強くなった。かなり冷たい風で、春先の新調衣装では寒い。笹峠から近江展望台を見渡せる辺りからは突風が吹く。目の前にむかしおねえさんが二人、正規の古道を辿って行くらしい。笹峠までは直進する方が早いのであるが、見るとおっちゃんばかりが辿るコースになっている。沢山のハイカーが笹峠で一息付く間に、近江展望台に向かってずるずるの急斜面に取り付いた。
晴れた日なら良く映えるであろうカラフルな衣装のアベックの姿が、まるで消え入るばかりの心細さでうすら寒い光景の中に蠢めいている。白いカレンフェルトと真っ黒な土、これが非常に良くすべりかつ靴に付着して重い。のみならず岩角に足を置いても良く滑るのである。強風で飛ばされそうな身体は寒いのであるが、額からは汗の雫、そのうち急速な脱水症状だろう、くらくらしてきた。
近江展望台まで歩く間に先行者の大部分を追い越したので、振り返ってみた急斜面には、ぞろぞろと山頂を目指すハイカーの群れ。血の池から這い出す亡者の如き光景である。目指すのはお釈迦様のおわします蓮の池ならぬ山上の極楽。極楽は暗くて寒くて尖った岩の歩き辛い背骨であった。
近江展望台を過ぎ霊仙最高峰を目指す。南側斜面は幾らか風も緩やかで、葉を茂らせたフクジュソウが多い。乏しい光では残り少ない花の命も虚しく時を過ごすだけである。最高峰までの尾根に雪は全くない。曇天の下で見る行者谷を隔てたソノドの姿は、近寄りがたい雰囲気があった。最高点から三角点に向かう登山道は苗代のようである。春に、登山道に稲の苗を植え、秋に登るハイカーがこれを刈る。山頂で大おにぎり大会を催し、ハイカーも日本の食糧自給に寄与するのである。
三角点手前の南斜面でエネルギーを補給、東の避難小屋界隈からも沸くように登山者が詰め掛けて、登山者というのは罪びとであろうかと、真剣に考察の必要があるような思いがする。三角点の霊山三蔵さまへのお参りも無事に済み、出来るだけ早く温かいところへ避難したい。罪びとの群れで賑わう登山道を無視しておトラが池まで一直線。
大きな鳥居の立つおトラが池は暖かく、あまつさえ厚い雲は去り日輪さまがお顔をお出しになった。幸いなるかな、これも日頃の修行の賜物であろう。ご光臨された天照大神を感じながら、カヤトの中で気持ちよく温まっていくのである。傍に黒犬を連れた3人組が敷物を広げた。寛大な眼差しでそれを許すものは神の寵児であろう。
頂上大地の下り道は、これがまたずるずるのどろどろ。やっとこさ汗拭き峠まできたものの、お目当てのミスミソウの花一輪もなし。神は何を考えているのであろう。ぶつくさと杉林を下り、温かい陽差の溢れる廃村落合の集落に着いた。なにがなし落ち着く風情があり、谷川で泥を落としながら、傍ですくすくと育つ雑草などが懐かしい。のではあるが、これを掴んで靴の泥落としにも使ったのは同じ精神の持ち主であったのだ。
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