■ 鈴鹿・鍋尻山〜権現谷
・・・・2011年04月17日
2011.4.17

「保月」は下界とは幾らか異なる、鍋尻山の山の端に懸かる月、月の光に照らされた小さな別世界、といった印象を持っていた。半ば、かぐや姫の世界といったとこころである。その別世界に行ってみたいという、だいそれた願望を実行する日だ。

月の光に照らされた鍋尻への道は些か厳しい。雲の見えない良く晴れた河内の集落を抜け次の集落、川向こうまでは錆付いた鉄製の橋が架かり、さて何処から登ったものかとウロウロ、現れたのは月影の君、では無いが、こんな鄙びた狭小の地に、あろうとも想われぬ色白の上品なお婆さんであった。

大きからぬ、意外にはっきりした声で、登山口の道順を丁寧に教えて頂いた。教えて頂いた通り、川を隔てた山腹の、杉の林に続く薄い踏み跡を辿る後姿を、いつまでも見つめているお婆さん、なにやら床しい光景である。

どうやらこの道は古い生活道路の跡であろう。上り詰めた細い尾根の一方の先は、八幡神社方面にも続いているし、階段状に整備した様子からも窺がえるのである。石灰岩の細尾根の両側は恐ろしい急斜面で、対岸の山腹も、その間を流れる谷の様子もこの世のものとも想われない。

桃源の地を尋ねようと云うのだから、このくらいは当然のことである。石灰岩の殆ど土の無い日溜りに咲く小さな花はミスミソウであった。細尾根を抜け山腹を抜け、大きな杉が二本並ぶその間に、まことに小さな可愛らしいお顔の地蔵様のお姿。

もったいなくも、お地蔵様のお迎えを受けて杉林、ちと興醒めのところもあるが、僅かな領域なので止むを得ない。一面カレンフェルトの山腹を登るようになると鍋尻は僅かな距離に聳えている。鍋尻の東に繋がる尾根の上は、どうしたことかグランドのように何もなく広い。遠くに先週歩いた残雪の御池岳が在る。

緑色の苔を纏った岩々を抜け、幾らか斜度を増した潅木の間を抜けると、山名プレートの架かる静かな鍋尻ピークであった。ピーク界隈はトラロープで覆われ、自由な散策を妨げる。これもまた、由緒正しい、美しき流れ守るためには止む終えぬ処置である。

保月方面のピーク下には、種を付けたにんじんのように、葉を茂らせたフクジュソウが覆い、これは毒を含む植物なので、下界の生き物では食することが出来ない。続く杉の林の杉は悉く樹皮が剥がれ、生きて僅かな枝をのばしているものも、そう長くはなさそうであった。どうした力のなせる技であろう。

道路に飛び出すと、そこは「保月」の集落であった。直ぐ左に、20台ほどの車が止まる神社がある。鳥居の奥には大きな太鼓の飾りがあり、綺麗な舞台、更に奥に、鷹揚に開かれた奥殿の中央に、ご神体と想われる小さな鏡が、部屋の僅かな光の中で怪しく光っている。常には居ない筈の住民は、悉く右手の社務所に集まり、静かに背の低い机を囲んでいる。

外界からの侵入者に対しても、超然たる態度を持ち続け、聖なる諦念と云えるであろう。背後に聳える鍋尻に架かる、月の光を受けた時、どのように変貌するか観てみたい。そんな覗き趣味はこのさい、厳に慎むのが正しい態度と云えるだろう。

最後に、見えるばかりの集落中央辺りの記念碑の前を暫時借り、昼食を戴く事ができた。そこから、長い長い、岩の崩れて流れる危険な林道を権現谷に下り、昼でもなお夢のような「保月」への訪問を終わったのである。


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