県道30号を走行中、車窓から見上げた大和葛城山の8合目辺りから上は白一色、既に雪が融けて久しいこの時期にあって新雪とは、思いもよらないことであった。東吉野村に入り、時々見える山々には相当雪が有るようにみえる。樹氷も大いに期待しても良かろうが、何分にも夏タイヤ、久しぶりの台高で、途中断念は詰まらない。
解禁したばかりの川面には太公望の姿がちらほら、林道に白いものは全くなくて、ちょっと遅めの貯木場、少し下った神社の横から陽差の中の傾いた畑、満開の桃の花びら越しにくわ振る姿の、どことなく寂しさの漂う光景である。苔むした、立派な石垣に聳える瀟洒なお屋敷、雨戸も何も古色を帯びて、人の気配がまるでないのも奇態である。
杉林に入って山腹を縫うように延々と続くかなり傾斜のキツイ道。やっと一息入れるころには高度も相当に稼いだはず。樹林越に見える真っ白な稜線は伊勢辻であろうか赤ゾレであろうか。明るくなるとそろそろ尾根が近くなったころ、ぼちぼち待たれる鏡池、近づけば逃げる蜃気楼の喩えの如くどっと疲れが押し寄せる。
深い谷に木魂するチェーンソー、灰を吹いた白い薪から立ち上る煙、人の暮らしの匂いに触れたような思いがする。踏み跡も心細く、薄化粧した林床には、なにやら細い線だけが現れる。雪の林床を歩くこと久しく、大峰の山々を頂く南の展望が開けるところが大鏡池、標高1200の稜線にある不思議の池、であるかどうかはまるで知らない。
日差しに煌めく樹氷こそは、温かい微風を受けてあたかも桜の原に有る如く、歩くごとにゆめまぼろしの境界に近づくかのよう。 岩場が近づき細尾根が続き、ようするにちょっと厳しい状況が続き、100円の手袋は所詮100円、濡れて汚れてポケットの奥に消えていく。視界の開けた薊岳ピーク、北に聳える台高の峰々、真っ青な空に白金に輝く稜線。
南には、春霞に煙る大峰の峰、行儀良く孫・子・親と並ぶ姿は、まごうことなき大普賢岳の鋭鋒。煌めく雪上に残る無数の踏み跡も及ばぬくらい、満開の花の饗宴は延々と続く。薊岳から1時間、到達したピークから見下ろす銀世界、あちらこちらに残るトレースはあれども、明神平の美しさを損なうものとては何も無い。
下山に入った明神の滝、垂れ下がるツララもさることながら、上から顔を覗かせる雪を纏った樹林の尾根、西日を浴びてこころもち肌色に染まる様とて今日一番の景観である。さながら悪鬼の如く、猛スピードで追いつき追い抜く二人組み、小さな女性でありながら、殆ど転ばんばかりのその歩き方。その先には、今まさに抜かれようとする三脚持ちのご夫婦。
かくして、真っ白な雪と暖かな春の日差しに祝福された、台高の一日が終わりを告げたのである。
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