藤村が「木曽路は全て山の中」と表現したように、木曽谷に耕作地はごく僅か、水田にいたってはほぼ無いに等しい。中でも木曽町は戸数も多く面積も広い。水田も少しだけは確認できた。国道沿いに見る出店はほぼ蕎麦や、谷の傾斜地でも収穫できる事の証左だろう。蕎麦はできても米が無い。古今を問わず、米については遠方からの輸送に頼らざるをえない事情は変わらない。大分むかし、そうした事情を解決すべく、ご活躍されたのが権兵衛さん、伊那谷からの米輸送の道を拓き、今日では、経ヶ岳、気が向けば木曽駒ヶ岳への登山基地を遺した方である。
基地と言うほどの設備はなくとも駐車場とトイレ、狭いながらテン泊も可能な場所である。やや懸念があるとすれば、伊那谷側では回復傾向の天気も、黒いカーテンの中ではどうだろう。後退するガスの道を走ってほぼ満車状態の駐車地に着いた。想定外のギリギリセーフ、なんでやねん?、と、思い起こせば確か、お花畑の記事があった。図らずも、賑やかなお山に来てしまった。
歩き出すと日差しの無い樹林の中のルートは歩き易い。整備も非常に良く出来たルートで、オダマキなどの咲く中に散策路が延びる。樹皮の剝けたダケカンバやシラカバを見ると関西では無い。前後を挟まれているので抜け駆けは行儀が悪い。前のおば様グループが立ち止まり、お花談議の続く間は大人しくご相伴に預かる。すぐ後ろを歩く、ソロの男性も行儀が良い。ユリが数本、オダマキはところどころ、ユリ科若しくはラン科の花も時に見る林床が続く。
右脇の林床に延びるモノラック、人を乗せる事もなく、着いたところがアンテナピーク。無線中継所のような設備である。小休止を入れ汗を拭き、再びおば様方の後方に着け、ソロの男性は先に着けた。やはり快適な道は続き、小山を登るかと思うと右手に柵、柵の中は、ピンク色のユリ、同じくピンク色のヤナギランなどの咲き乱れる花園であった。ユリなどは少々やり過ぎの感さえ起こる咲き方だ。この山は龍宮城かと思ったが、北沢山という大人しい名であった。ほんの僅かの間、中央アルプス主峰辺りが頭を出した。
次はアヤメ山、花期を終えたアヤメの咲く山で、ところどころに咲く様子は品がある。対してユリは、あくまで賑やかに咲き誇る尾根であった。何ともゴージャスな眺めである。しかしながら、花園を保護すべく張られたロープに掛かる重石の袋はいただけない。少し離れて見ると花園を誇張する模造品に見えて紛らわしい。今後の課題と言っておこう。さて、まさに百花繚乱、賑やかな事この上ない道を歩き、ふと気付けば同行した方々の姿が無い。なるほど、花を見て降る方々である。
着いた高みはコイノコの山名がある。由縁は知らないが、この先はお花畑とは無縁、お花に代わり、岩と細尾根と急斜面の連続、加えて羽虫に苛まれる道であった。道の整備は相変わらす行き届き、お陰かどうか、手を差し出したくなるような老年ご夫婦の姿も見かける山であった。大汗で辿り着いた経ヶ岳、光の少ないピークではあったが、風化した観音様の後光のお陰でとても明るい、と思う。木のベンチでエネルギー補給、今日は久しぶりに応えた山行であった。降りだけでも気合を入れ直して降ろう。
すっかり人影の消えた尾根道、休息場所で一本着けたりなどしながらの降り道。急いで休むスタイルの若者2人と、どちらかといえば、急がず休まず歩くスタイルが、時に同期すると話が生まれる。先行して降る彼らが登って来た。話を聞くと、熊を見たらしい。辺りは夏草に覆われ、食糧に窮するはずもないから怖くない、と彼らを先導して降った。熊の姿はなく、何も起こらなかった。長野から来たらしいので、北方の熊は注意すべきかも、と警告しておいた。降った駐車地では大変な事があったらしい。
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