■ 伊吹山地・横山岳
・・・・2026年04月18日
2026.4.19

今年も横山岳を歩いて来た。湖北・鈴鹿の山々の中でなぜ横山岳か。桜も咲き季節は春、山は萌黄色の若葉を出した木々に覆われ、地は新緑の草が覆う、はずなのに落葉と土色。鈴鹿も同じく地に緑はない。湖北まで足を延ばすと昔見た春がある。低いながらも急峻な山容の横山岳は、冬ごもりを終えた身体の覚醒を促すお山である。と威勢よく言えるのは下界の事で、谷奥にそそり立つピーク辺りが見え始めると、何が悲しくてあれに登るのか理解不能、おりあらば途中断念だってあってもいいやろ、と思っている。

駐車地に先行車は3台、花の終わった桜の下で、主人の無事な帰還をお待ちする一途な姿がいじらしい。曇りがちの空から薄日が射し、イチリンソウやウマノアシガタの咲く平和に満ちた光景である。天候は回復傾向と予報は仰有るし、この平和を乱してまでもお山に登る理由とは何か、コエチ谷を歩きながら、あちこちに乱れ咲く奔放なヤマブキの花の色がやめ〜やめ〜と言っているように見える日である。道が尽きると見上げた山腹の上方に林道のガードレールが見えてきた。何と無体な勾配であることか。辺りを覆う、巨大なケヤキに小さな若葉、山笑う季節に笑えない斜面。

歩く斜面に今日の踏み跡を確認できず。皆様は雪の消えた白谷を行かれた模様。ヤマブキに加えてイカリソウやらイチリンソウの伸びやかな姿が神々しい。大いに難儀した挙句に鳥越峠に辿り着いた。鳥越とは言いながら飛ぶ鳥の一羽だにない。その上、晴れるはずの空は今にも泣き出しそうな様子。この兆候は、林道を歩いて終わりにする事を勧める神の啓示とも考えられる。見上げた三高尾根に続く急角度の踏み跡とそこを覆う枯葉の川、喘ぐ皆様の苦悶の様子は試みた小さなジグに遺されていた。

神々の御心ではあるが、ここで止めては高速代とガソリンが勿体ない。不穏な中東から遥々と船に揺られてやってきたガソリンだ。ソロモンの箴言にも「ガソリンは大事にすべし」とあったかも知れず、しかしソロモンは古代イスラエルの王にしてイスラム教の預言者、現代において争う理由はと考えると自ずとある結論に逢着する。しかし目前の尾根とは関係がないので、イヤイヤを言う足を諭して尾根を這い登る。今年の関西は寒いのか、幾らか草本類の芽吹きが遅い。やっと見つけたハルリンドウはとても小さく、コケリンドウと言ってもよいくらいのサイズ。ヤブレガサは急斜面の一角を占め、「てめえら人間じゃねぇ!、たたっ斬ったる」と枯葉を串刺しにする猛者も混じる。ここでは手を敲いて褒めてあげよう。

厳しい尾根にも多少優しい平坦部がある。イワウチワが咲きカタクリが咲く岩稜地帯だ。ここら辺りに咲くスミレは花束状で品が良く鑑賞に値する。背の低いタムシバなどは手の届く辺り、ふと下方をみるとソロの男性が迫っていた。恰幅のよい男性で、ゆっくり歩くところがよい。暫くするとノイズと同時にソロの女性が追いついてきた。ノイズの正体は工事現場でお馴染みの空冷式ジャケット、こんなものが登場する時代なのか。よろめくように登る女性は先の男性の連れらしい。ふむ、妙な取り合わせ、神々の為せる技は深遠なのだ。石灰岩地帯の、陽当たりのよい辺りのヤマシャクヤクの蕾は何故か大きい。咲く姿を見たいと思いながらも今年も思うだけ。

予想に反し、余力を残した状態で西峰ピークに到着。黒雲の下、先のカップルは楽しげに食事中、トレラン姿の男性は食事を終えたところ、光の乏しい何やら淋しげな光景だ。「もっと光を!」と叫びたいところだが、足はまだ元気だし、東尾根手前の展望のよい岩場まで進んで補給としよう。雪のほぼ消えたピーク尾根は寒くて気温はやっと9℃、雲が晴れないと寒い。岩場では、やっと開花にこぎつけたイワナシやピークを過ぎたマンサクが続き、肉眼には谷間から琵琶湖へ降る展望が素晴らしい。

ちょっと冷える岩の上でエネルギー補給、先のカップルが東尾根に降って行く。代わって現れたソロの男性、カメラ片手に楽しげな様子だ。三高尾根を降って墓谷山まで歩く予定とか、達成したかどうかは聞けなかった。東尾根を降るとブナの若葉の下は一面のイワウチワのピンクの花園、バイカオウレンはひっそり咲く。標高900のブナの傍を抜けると青空の中に金糞岳、え、いつの間に雲は消え拡がる青空。これで、良いお天気の横山岳が記憶に残るのだから、騙されたようなものである。


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