岩屋山・石戸山の北にある高見城山、柏原と書いてカイバラと云わせる街の南に位置する山で、機会があれば行ってみたいお山であった。文字通り山城の跡、1327年に築かれ光秀により落城したお城の本丸のあったお山である。柏原は信長の末裔の墓所などもあり、興味深い街の一つだ。北側の尾根末端から登るコースもあるようだが、今日はショートコースの丹波悠遊の森から歩く事にする。
温かいといっても5℃くらいでは恩恵は少ない。用意の整ったおば様登山隊が歩き始めたところだ。後を追うこと10分ばかり、施設の様子を覗いながら、賑やかな登山隊との距離を計る。道脇の、朝日に輝くムラサキシキブが有難い。登山隊は、その滑らかな口に比べて歩みはのろい。とったはずの距離は見る間に埋まり、已む無くお先に〜と先に出た。勢いよく出たのはよいが、目の前の急斜面に続く階段道、歩き出して間もなくこれは辛い。その上何やらおば様方の闘争心を刺激したものか、後方からの追い上げが厳しい。要らざる敵を作ってしまった。
尾根に乗ったところで階段が切れ、やれ有り難し、と歩く細尾根の先は岩場混じりの急勾配。気合の入った声は直ぐ下に迫り、景観を楽しむ余裕もない。心臓の悲鳴にも耳を貸さず、お陰で徐々に間も開き、改めて見た城山は断崖の上、三尾山と良く似たロケーションだ。即ち立て籠もる事に特化した城で持久戦用の城である。今だに残る登山道の敷石はおそらく往時のものだと思う。出来心から始まったシンドイ山歩き、高度差350mばかりを休みなく登り、山頂直下の狭い平坦部の祠に手を合わせてピークに到着。池跡らしきものの他、構造物は何も無い。しかし周辺への展望は大変に良く、これがこの城の存続理由の一つであろうと思う。
おば様登山隊が下の祠に到着した様子、石戸山まで歩く予定であるから南に降ってピークを空けよう。城跡から降り、眺めの良さげな岩棚を覗いて南へ歩く。両側の切れ落ちた狭い尾根ルートは心地の良い場所であった。松が主体のルートは明るく、天気も良く温かく、整備した様に綺麗な水平道が暫く続いた。道草を食う間に、おば様登山隊が現れ、意気揚々と南に去って行った。どこまで行かれたものか、暫くすると帰って来て、殿のおば様はゼーゼーハーハー、静かな尾根に消えて行った。ふむ、何だろう。水平道もやがて大降りに転じ、その先は多いに登り、とても草臥れ讃岐石の鉱山跡に到着した。
鉱山跡でエネルギー捕球、冷えてくるのでもう帰ろう。登ったお山を降り、登り返して綺麗な水平道に戻った。ピストンでは詰まら無い、東側の尾根に続くルートを降ってまた汗になった。大変荒れたルートで、しかし右に降らなくて幸いだった。右へ降れば山南町、帰りの困難は予想の外であったろう。 |